2013年12月25日。俄に生肉を食いたくなった。イエスの降誕を祝うべき日に、なんと罪深きことか。
日本では、2011年に集団食中毒事件があり、以来、生肉の販売・提供に厳しい規制がかかってしまった。学生時代、近所の精肉店で買った生レバーやユッケをビールとともにちびちびやるのが日課だった私としては、そろそろ我慢の限界だった。
ナマニク ガ タベタイ。さながら生き血を求める吸血鬼のごとくネットを徘徊していると、韓国ではなお「本物の生肉」が食えるとのこと。急遽、翌日(翌々日だったかも)発の航空券を、前年に就航を開始した”Peach”で取り、初の海外一人旅に出かけることにした。ひとまず人間をやめずに済んだ。
18:15発のフライトに向けて、家を出ようとしていた矢先、ある報道が目に飛び込んできた。
2013年12月26日13:46 日本経済新聞
安倍首相、靖国を参拝 現職で小泉氏以来7年ぶり
安倍晋三首相は就任から1年にあたる26日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。安倍氏の首相在任時の参拝は第1次政権も含めて初めて。現職首相の参拝は2006年8月15日の終戦記念日の小泉純一郎氏以来となる。首相は第1次政権時に参拝しなかったことを「痛恨の極み」として在任中の参拝に強い意欲を示していた。中国、韓国は反発している。
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関空から仁川に向かう機内では、韓国人の若者と隣り合わせになった。日本に留学に来ていたが、此の度帰国することになった、とのこと。当方は初の一人旅で、韓国に行くのも初めてだと伝えた。それから、日韓それぞれの文化や韓国の美味しいご飯について話ができた。これは幸先が良い。
さて、ほぼ定刻の20時過ぎに仁川国際空港到着。ここから空港鉄道A’REXでソウル市内に向かう。年末の平日、しかも夜。空席の多い車両の前方で、小さなテレビモニターがニュース映像を映し出している。出発直前にも、似た映像を見た。靖国参拝、安倍首相、中韓の反発、抗議デモ……。ソウルはどうなっているのか。一抹の不安がよぎる。
年末のソウルはとてつもなく寒い。オンドル(温突)が必要なのも頷ける。ホテルは問屋市場とファッションビルが立ち並ぶ街、東大門(トンデムン)に構えた。「本物の偽物」を売る商人には見向きもせず、まずはチェックインを済ませた。さて、腹が減ったので夕食に向かう。目当ては無論、生肉であるが、温かいものも食べたいので目星をつけていたホルモン焼き屋に向かうことにした。
待望の生レバーとホルモン焼きをCassビールでやっていると、隣のテーブルにいた若者たちが「日本から来たの?」と声をかけてくれた。韓国語はアンニョンハセヨ、カムサハムニダ、チャルモッケスムニダ(いただきます)、チャルモゴッスムニダ(ごちそうさまです)、ノムマシッソ(めっちゃうまい)しか知らないので、お互いエセ英語でコミュニケーションをとることに。
話が弾んだところで、
「実は出発直前に靖国の報道を見て、少し不安だった。僕は韓国に来て、すでにこの国の熱気と、人の温かさに魅了されているが、日本にいると、日韓の関係について、ネガティブなことをよく耳にする。『日本』について、何か思うことはあるか?」
ということを伝えると、
「君は日本の政府が好きか?」
と逆に質問をされた。
「いや、日本のことは好きだけれど、政府には不満もあるよ」
と答えると、
「僕も同じ。日本の政府や、過去の日本政府が自分たちにやってきたことにはネガティブな感情も持っている。でもそれは『政府』に対するもので、日本人一人ひとりや、日本の文化に対するものではない。でもニュースでは、『日本は』『韓国は』と全部一括りにして報道する。だから、日本人全員が、韓国人全員がお互いの政府も文化も嫌っているように伝わってしまう。それから、僕だって自分の国は好きだけど、政府を全面的に支持しているわけじゃない。普通のことだと思うよ」
と返してくれた。目が覚めた。
私たちは「日本」と言う時に、それが「日本」「日本文化」「日本人」「日本政府」「過去の日本政府」「今の日本政府」…いったい何を指しているのか、どれぐらい自覚的であろうか。十把一絡げに「日本」を主語や目的語に置いてしまうことは、とても危ういことだと、痛感した。
「2013年12月 ソウル 日本大使館 反日デモ 靖国」ぐらいで検索をかけると、火をつけられた日本国旗や、憤る群衆を捉えた写真が出てくると思う。
私は12月27日と28日の2度、日本大使館の様子を見に行った。たしかに大使館の門周辺には人がいた。しかし「群衆」というには心許ない数であった。しかし、私はここで、あの反日デモや抗議自体をとやかく言いたいのではない。
あれぐらいの人数でも、マネやルノワールが舞踏会を描いた絵画のように、画角に目一杯、端が切れるぐらい寄って撮影すれば、「群衆」に見える。見せることができる。そうして報道は、「切り取る」ことで我々に「伝えたいこと」を伝える。その巧妙さと恐ろしさを実感することができた、貴重な経験であった。